遊戯王ARC-Vの振り返り

超お久しぶりです。

 

昨年末の不正中断剣の頃から視聴にすっかり疲れてしまい、感想とかええやろ早く忘れようと思っていたのですが、他の方の感想記事を読んで自分も何か言語化しておきたくなったので久々にブログを書こうと思います。

 

しかし、「ここの説明が足りてない」とか「これの説得力がない」とか「言っていることがどうにもおかしい」とか、客観的な問題点は他の方が既にたくさん指摘してくださっているので、私のブログでは「他の人はどう思うか知らんけど個人的にめっちゃ嫌だった」話だけしようと思います。

予防線のようですが、全て所感なので「それはおかしい」と言われても困ります、私が思っただけなので。

 

理解のために同じことを思う必要はありません。

 

 

 

■めっちゃ嫌ポイント .▲鵐船▲デミズム的である

 

アカデミズムとは、学問的なことを重視する・それを重んじる姿勢、くらいの意味です。ARCはそれに対して否定的な描写が目立ちすぎる。それがどうにも苦手でした。

 

それを感じたポイント↓

 

1:LDSトリオVS黒咲

エリートリオ、と呼ばれる北斗・真澄・刃の3人は口ぶりからしてスクールでは「お勉強ができる」設定に違いありません。それを「鉄の意志も鋼の強さも感じられない」と蹴散らす「戦場での実戦経験豊富」の黒咲。とはいえ黒咲は本筋の中心も中心にいるメインキャラ、彼の強さを描くために多少の踏み台になるならまぁ致し方ないかな…と思えていた当時。その後の描写(後述)の蓄積で「やっぱりあれ良くなかったよ」と思い直したシーンです。

「…と思っていたが中々やるな、しかしオレの勝利は変わらない」とか「オレの鉄の意志と鋼の強さは誰にも負けはしない」とかそういう言い方だとLDSトリオのファンにも配慮が感じられて好ましかったかもしれません。

アカデミア側の戦士として育ったセレナに北斗が敗北するのも似たイズムを感じるなぁという余談。

 

2:アカデミアの設定

ご存知侵略者集団(なお花火で全員改心する模様)。「アカデミアの生徒たちはプロフェッサーによる洗脳教育でエクシーズ次元侵略を良しとし、人々をカード化している」という、「GXに恨みでもあるのか」と再三言われていたこの設定。3年居たくらいでどうやればそんな洗脳教育を施せるんだとかいうツッコミもありつつ、教師の話を生徒たちが同じ方向を向いて熱心に聴き学ぶ姿が教祖の教唆に心酔する信者のごとく作り手の目には映っていたのではないか。少なくともその様を重ね合わせた設定であると私は感じました。

「監督、GXコンプレックス強すぎだろ」という揶揄も見かけましたが(5D'sのハイトマン回のアンティークギアゴーレムも当時批判があったことを引き合いに出されつつ)、私は作り手が嫌いなのはGXではなく「とりあえずアカデミック的な何か」だと感じています。

 

3:過去キャラの設定改変

触れるのも嫌なんですが、前述のアカデミアの軍のトップがこともあろうにエド・フェニックス…という名前の人。GXではご存知プロデュエリストであり、飛び級で博士号を二つ取得している才人かつ、デュエルの哲学書を出版している文系の物書きでもある彼の設定は全て跡形もなく消えているどころかむしろ真逆。軍人っておまえ。タイラー姉妹に「実践不足」を指摘されるオマケ付きです。座学が親の仇か、というくらい実践主義を隠しません。

同様にGXでは才色兼備が歩いているようなヒロイン・天上院明日香。彼女の優等生設定は引き継がれている…と見せかけて、当初アカデミアに従順なあまり「エクシーズ次元のデュエリストのカード化は正当な行いである」と思い込んでいたという衝撃の導入。「プロフェッサーの悪事に自ら勘付き正義感で反旗を翻した」設定じゃダメだったのか。

そしてZEXALでは天才科学者であるカイト。ARCではそんな素振りは一つも見せません。ZEXALのシリーズ構成・メイン脚本家の吉田氏(ARCには不参加)がどう見てもSFオタクであることを差し引いても大幅すぎる改変と言えます。(科学者じゃないとかいう問題じゃなく何を言ってるか分からない人だったんですけど。いつ遊矢の好感度上がった?何故君が詫びる?Why?馬鹿なの?)

 

とどのつまり、「設定」に関して何故かアカデミックな部分だけが削ぎ落とされてる過去キャラたち。

描写は目くそ鼻くそですが(大事)、ジャック、クロウの「叩き上げカコイイ」的な設定は維持されてることを思うと、うーーーーんこの、というわけです。

 

他にもユーゴの設定や沢渡の扱いなんかもこれに含まれると思うし、そうするとホモソカースト的なニュアンスも出てくるし、話を拡げようと思えば無限なのでこの辺で。勉強には好き嫌い得意不得意あるし全員肯定的じゃなくてもいいんだけど、作中で描かれる価値観が一元的なのはどうにもいただけなかったです。

 

 

■めっちゃ嫌ポイント◆―性キャラの扱い

 

これはマジでヤバイ。語彙がなくなる。パネェ。スゲェ。ヤベェ。そんな感じ。

 

序盤は柚子が真澄とデュエルで友情を育んだり、アユちゃんも楽しそうにデュエルしてたりして非常に良かったんですが、それもスタンダード次元まで。後は柚子シリーズ全員が男性キャラの行動動機です。

柚子消えたから次元移動しなきゃ〜柚子取り戻さなきゃ〜で柚子を画面から消さないと話が動かないレベル。

一応メインの一人だったセレナもデュエルしたと思えば(ロジェの策略で)ハンデ付きなのにユーゴに負け、その後は連れ戻されたり洗脳されたりで正気の出番はほとんどありません。瑠璃とリンはもはや論外です。

「統合されたくない!嫌!」って叫んでる場面を最後に消えたヒロイン4人のうち3人、驚くほど人権がない。

 

女性キャラクターが主体的に動いて何かを成し遂げたエピソードが人数のわりにほとんど無いよね、とかそういうレベルでもなく、もはや人としての尊厳が感じられない最終回。統合を肯定してる設定ならせめてその様子を描こうよ……最後めっちゃ嫌がってたじゃん………

女性表象どころか人間表象として疑問である、って中々すごい話だなと思います。

問題はジェンダー観以前に倫理観、スケールがデカすぎて専門外になってしまいました。解散。

 

 

■めっちゃ嫌ポイント デュエル好きじゃなさそう

 

作中のデュエルの評価を「観客が楽しんでいる(笑顔になっている)か否か」という他者依存の観点に傾けてしまった結果、闘ってるデュエリスト同士の想いの描写が非常に希薄。「楽しい!」「またやろうぜ!」みたいな当人たちの「デュエルが楽しい」感情にスポットライトが当たってる回が遊矢VS沢渡(31-32話)くらいまでしかない。それがピーク。

 

ズァークの設定もそもそも出発点からデュエル好きな人が考えた設定じゃないなと思ってます。なんだよ暴力的なデュエルに熱狂する観客って…それに悪乗りするズァークって…全然感情移入できません。説得力とか整合性の話を差し引いても、主人公の根幹の設定が全く好きになれませんでした。

 

ホビアニは自分の好きなホビー(ここではデュエル)を楽しそうにやってくれるだけである程度いいと思ってるんですが、それがほとんど見られなかったのがかなりしんどかったポイントです。「デュエル好きな人間が笑顔になる方法=キャラが普通に真面目に楽しくデュエルをすること」だと作り手が最初から最後まで分かってなかったのは深刻な欠陥だった気がします。見たいのは花火でもカルタでもまして主役のウジウジでもブチギレでもねーわ。

 

その点沢渡のデュエルはいつも楽しそうで良かった。最後に1vs1フルデュエルしたの72話ですけどね。

 

 

■めっちゃ嫌ポイントぁ.瓮妊ア露出時の監督の発言

 

オトメディアの対談、非常にどうかと思う言葉選びのオンパレードでした。

(私は沢渡の中の人の熱烈なファンです、怒りポイントは察してください)

 

 

■まとめ

 

矛盾や説得力不足などを指摘するとキリがないので、あえて主観を中心に綴ってみました。感想ってそれくらいのほうが面白かったりしますよね(?)。スッキリしました、ここまで読んでくださってありがとうございました。

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    遊戯王ARC-V〜エド登場でもうわけが分からない〜

     カイト登場〜明日香・エド登場に劇場版が挟まりまして、大変ありがたいことに非常に良い意味で気を散らしていただいておりました!!が、以前(3月)に書いた過去キャラ登場ブチ切れ記事からだいぶ時間も経ちましたので、ここらで訂正や補足をさせていただきたいと思います!
    ところどころ前回の記事を読んでいただいている前提のような言い回しがございますが、こちらの記事だけでも意味は分かると思いますのでご容赦くださいませ〜


    ▼訂正:OCG展開のみが目的だった?

     前回「商業目的」と書いたのですが、全体的に疑わしいというまさかの展開

    ■カイト
     サイファーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
    どうしたんですかね????てっきり過去テーマ強化目的の人選だと思っていたので、だいぶ斜め上(下…?)を行かれました。とはいえコレパのパッケージを飾ったサイファードラゴンがいるので、完全に銀河眼の強化でなかった…と言い切ることもできないかもしれないのですが、それにしてもなんだあのトンボは!??!wwwww
     「出るからには強化が欲しい」と願っていた銀河眼使いの皆様、ご愁傷様でした…。

    ■エド
     そしてこれまた問題のD-HEROですよ。大変申し訳ないのですが、死ぬほどダサいディストピアガイ!Dが融合する時点で論外感はありつつ、新規カードの効果がどれも全くD-HEROらしくない!(一応解説すると、バーンや攻撃力UP、貫通等攻撃性の高い効果はどちらかというとE・HEROのイメージですね。Dはもうちょっとテクニカルなカードであるべきだと思います。未来操ってくれよ。)
    しかもいきなりデュエルに勝ててない。部下と意思疎通が全くできてない司令官のポンコツ感。
    これでは本編がカードの逆販促では???大丈夫か?


     結局まともに過去テーマのOCG化として新しく展開できたのは機械天使だけというオチ。とはいえそれほど多くのOCGユーザーの購買力に直結するものであったとは考えづらいですよね…?(長年の希望だったので私は嬉しかったですが)(シングルで買いました)
     実際に本編に登場しOCGが展開された結果、「結局この人選と過去キャラゲストとは一体なんだったんだ???」という謎はむしろ深まるばかりだったというのが正直なところです。


    ▼訂正からの憶測:ではなんのために…??

     VJ6月号の記事でGX時のエドの紹介が載っていたのですが、そのコラム名が「20thクロニクル」。待ってくれ、これは20周年のお祭りのつもりなのか???マジか??????エド・明日香・カイトという人選はさて置いても、あの役回りで「お祭りです、映画の宣伝です!」と言われてもあまりピンときませんよね。過去キャラに過去作舞台の街を破壊させて「遊戯王楽しい!」って話にはそうならないと、さすがに予想してほしいところです。

     全く無意味な行為ですが、ここ数ヶ月の「過去キャラを出す目的・そして人選」についての私の思考を順を追って書かせてください。先に言っておきます、これという答えは出てません。すいません。迷路です。制作サイドの意図を理解することで少しでも怒りを和らげたかったのですが失敗してます。ですがせっかくたくさん考えたのでお付き合いいただければ嬉しいです。


    ■情報公開時(2月)
    【予想】過去テーマのOCGの展開目的
    【結果】カイトのサイファーにより外れ
    【補足】
     エド・明日香が過去テーマを強化・展開したいコナミ側の意向で、カイトが「ZEXALからも出さないと…」という帳尻合わせか、何かしらの理由で出したいアニメ側の意向という中間の説も考えました。そちらの仮説はまだ生きていますが、個人的には新D-HEROに全く売る気を感じられなかったのであまりピンとこなくなっています…(コナミの売りたい気持ちをアニメ側が台無しにしたのかもしれませんが…笑)
     なんだか、「実はそこまで連携が取れていないのではないか」というのが現在の所感です。

    ■エド情報公開時(4月)
    【予想】オリジナルキャラクターの役割に、後から過去キャラを当てはめたのではないか
    【結果】6/10発売アニメディア監督インタビューをご覧ください(外れてます!)
    【補足】
     「元々エクシーズ次元編のシナリオはあって、ジャックとクロウの話題性を受けて(?)急遽過去キャラのビジュアルと名前を借りることにした」という予想でした。これはあまりにもエドの設定がGXの彼からかけ離れていることを知ってからの予想です。つまり、ARCのオリジナルキャラになるはずだった総司令官が急遽エドの見た目になったのではないか?ということですね。カイトや明日香も彼らである必然性が感じられなかったので、ひょっとするとそういう突貫工事もあるのかなと。
     しかしこれはエドやカイトや明日香のファンとしてのあまりに希望的観測だったようです。しんどいですね。

    ■現在(6月)
    【予想】過去キャラ出演は決定していたので出したものの、風呂敷を畳むのに必死でなりふり構ってない
    【結果】Coming soon…
    【補足】
     もういよいよこれじゃないかと思ってます。あまりこの言葉は好きではないのですが、「作り手はそこまで考えてない」ということの最たる例なのかもしれません。謎を放置するだけ放置して一年続けてしまったシンクロ次元編、あのジャックを倒してしまった建前上「成長した」ことになっている遊矢のエンタメデュエル…目の前の負債を少しでも解消し、書いてしまった設定を拾っていくことに躍起で、過去キャラの扱いなんかに構ってられない、というのが本当のところなのではないかと思わざるを得ない現状です。
     まぁ、じゃあなんで出したんや…って話には戻ってしまうのですけれども…。


    ▼まとめ

     情報公開から数ヶ月熱心に怒ってきたのですが、実際にARCのエドを目にして、「意味が分からなすぎてもうどう怒っていいかも分からない」という境地まで来ています。二次創作でも、「あのエピソードの意味合いはこうだと思うよ!」とか「あのセリフそう解釈しちゃったか〜」とか思えるレベルじゃないと「解釈違い」とか「地雷解釈」とかにはならないじゃないですか。エド好きな方とお話しても、もう「??????????????」を共有することで精一杯。意図が理解不能すぎて狂気すら感じます。

     しかし少なくとも監督の中では過去作キャラは過去作の本人と性格が同じ人間として扱われているらしく、「こんだけ別人にするなら過去キャラ使わなければいいのに」という批判も、逆に「別人なんだから性格が違っても仕方ない」という言い聞かせ(擁護)すら許されなくなってしまっていよいよ正気の沙汰ではない感じですね。もはや怖い。なにやら見ている風景が違うようです。

     今後は、なんというか…もう…できるだけ早く過去キャラを退場させて、謎を明かせるだけ明かして、北斗くんをカードから戻していただければ…それでいいんじゃないでしょうかね…もう何も望んでないです…次のシリーズは過去キャラ出すのやめてください…

     あまりにもつらくて、「ぼくのかんがえたさいきょうの超融合」よろしくカイト(本物)とエド(本物)共闘妄想をしたりしてました。エドはレベル8モンスターも多く使うので意外と噛み合う気がしてます。カイトさんは天才科学者でド理系、エドは本を執筆する意外な文系(博士号持ち)なので、種類の違う秀才って感じがすごくいいと思います!インテリフェチ大歓喜!
     エドが「良い目をしてるな」って遊矢に微笑んでくれるの〜〜〜最高〜〜〜〜!!!!

    …はい!ここまでお読みくださってありがとうございました!
    相変わらずとりとめもなくてすみません!!
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      【第五回/遊戯王DOD感想】いったんまとめ!

      ちょっと間が空いてしまいました!お久しぶりです。観た回数感想ブログ書く!と宣言したわりにまさかの半分以下で頓挫という…笑(思ったよりハイペースで観てしまったのが原因ですね!)
      というわけで9回視聴後5回目の感想ブログですが、ここらでいったんまとめようと思います。
      細かい話は過去の記事をご覧いただければ幸いです!


      【第五回/遊戯王DOD感想】いったんまとめ!


      ▼遊戯王とは…

      やっぱ遊戯王はすげ〜です!せやな!やっぱり好きだな〜〜〜と思いました。過去、未来、古代ロマンとSF、神話、宗教、政治、近代思想、もちろんカードゲームとしてのデュエルも、作品の要素の何をとっても奥深くて面白いです。私はどこにも専門的な知識は無いのですが、作品の奥行きとしてそういったモチーフがたくさん詰まってること、誰かキャラを好きになったときに刺激される知識欲、やっぱりこの作品には特別がパワーがありました。いや…ほんと…インド神話も数行で挫折した程度なんですけどね…笑
      そしてその壮大なモチーフを、キャラクターの生き様や関係に落とし込めているところが自分に合っているなぁと感じます。劇場版を経て、高橋先生が描きたかった世界を再確認したような思いです。

      テレビアニメシリーズももちろん大好きですが、あちらの内容がOCGの販促としての側面がいかに強かったか、それにいかに慣れきっていたのか、そしてそれは必ずしもカードを宣伝するに当たって必要な変化だったのだろうか…と考えさせられもしました。もはや「遊戯王とはなんだったのか」って話ですよね。哲学かな??なんて、ぶっちゃけ高橋先生がいちばん思ってるんじゃないか!?笑
      どんどん原作者の手を離れて、各シリーズこれだけ色んな人の色が足されていって…それがオリジナルシリーズ面白さでありながら、迷走もあるのだと、何シリーズ目になろうと終わらない試行錯誤を眺めながら思います。
      もちろんスポンサー始めお金の集め方もTV放送と劇場版では大きく違うでしょうし、一概にこれ言うことは難しいのですが、劇場版遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONSが一つの「解答」だったように思いました。同時に、そうであってほしいとも思っています。


      ▼劇場版絡みの宣伝・細か〜い疑問と感想
       
      • ARCの過去キャラ登場、いつの間にか「20thクロニクル」とか書かれてたけど(VJ記事)あれは宣伝になったの?
      • 嬉しかったのは原画展、トークショー&握手会、コメンタリー上映、サ店。
      • でも個人的にテンションが上がったコラボはココイチ!!!地域格差ほぼなしと言っていい!栃木でも遊戯の顔見たよ。
      • それにしても関連カードの売り方微妙すぎでは?ストラク…なんか…もうちょっとできた気がする…笑
      • そしてフレンドリーショップ限定スリーブ(なんでだよ)

       とりとめなくてすみません、ざっとこんな感じです。みなとみらいや映画村は行けなかったのですが大々的で嬉しかったですね。
      ま〜ぶっちゃけると全体的にKO●AMIさんの考えてることが分かりませんね!!!!笑
      以前の売り方が素晴らしかったかと言われると決してYESではないのですが、それにしても現行シリーズのARCのことも含めて絶対に内部で何かあったと思ってます。何があったんだ。ここでは丸投げしますがもう一度言います、何があったんだ。


      ▼まとめのまとめ

       DODを見ると、遊戯王が好きで本ッ当によかったと思えます。(ARCの過去キャラ出演でちょっと疑いかけてたけど…笑)これだけ自分のオタク人生を肯定できる作品に出会えたこと、一生の宝物だろうなと思います。それが何よりの財産です。ありがとう遊戯王。

       というわけでDOD感想ブログはこちらの記事でいったん締めます!また書きたくなったら書きますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします〜!
      ここまでお読みくださった方々に感謝を!ありがとうございました〜!
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        【第四回/遊戯王DOD感想】分からないこと探し

         舞台挨拶の回でした!舞台挨拶のレポはツイッターに連投しましたので、当日のツイログをご覧いただければと思います〜いや〜面白かった…!!
         というわけで4回目のDOD鑑賞、4回目の感想となるのですが、今まで萌えた情熱を綴った記事ばかりだったので、今回はあえてふわっとした話をしたいと思います。なんじゃそりゃって感じですが、「自分の中で答えが出てない部分」の覚書き的な…う〜ん、それ面白いのかなぁ????笑(身も蓋もない)
        ちょっと分かりかねますが、よろしければお付き合いください!


        【第四回/遊戯王DOD感想】分からないこと探し


        ▼シャーディー

         前回の記事でチラっと予告もさせていただいたのですがシンさまについて。今回物語の鍵ともなる既存キャラ・シャーディー。原作本編の中では「冥界の扉」の存在を示唆し、闇遊戯(現世に蘇ったファラオ)の存在の認知と審判のために登場します。彼の目的は「王を冥界に送り届けるために」「千年アイテムを七つ揃える」という認識(つまり墓守の一人)で間違いはないと思うのですが…
        今回の劇場版で提供された新情報、「八つ目の千年アイテムを用いて選ばれたものだけが進むことができる高次の世界への扉を開く」(ただし、セラ・藍神の見解の域は出ていない)。「そのためにプラナとなるべく子供たちを世界中から集めていた」らしい。マ、マジか〜!!

         今作中でシャーディーが登場するのは、藍神たちのような苦境にある子供たちを救い導き、そして後にバクラに殺されてしまう場面。藍神に感情移入するとつい完璧な聖人、善人のように思ってしまうのですが(私も藍神が好きなのでそういうふうに見がち)、原作だと墓を暴いた美術館の館長ぶっ殺して、教授にも結構過激なことしてるんですよねこの人(笑)
        もちろんそれは「墓守」という目的に沿った行動ではあるのですが、「選ばれた者だけが行ける世界」という思想に垣間見える選民意識は彼の断罪的な行為から推察できるものかもしれません。

         そしてプラナたちを葬祭殿に集めているシーン。プラナたちにも普段は墓守の役割を担わせてる…ということなのでしょうか。もちろん「プラナの目的遂行のためにファラオの復活があってはらない」という教えだったこともありますが、藍神が海馬に「神聖なこの場所」と千年アイテムの発掘を咎めるような発言をしていることからも、シャーディーはプラナたちに冥界の扉(葬祭殿)を尊ぶべきという墓守としての教唆をしていた可能性を感じています。

         「シャーディーがプラナたちを利用していた」と書くとだいぶ語弊があるのですが、ただの慈善事業ではなかったと言い切ることはできるかもしれません。利害の一致…というよりは「もともと同じ目的・宿命を持つ同士」のほうがロマンチックかつしっくりきます。むしろ慈愛だけで子供たちを救っていたという解釈のほうがマズい感じしますね!?笑(藍神の心酔っぷりを見て、教唆と洗脳の境が怪しいぜシン様〜!と思ってしまう心の汚い大人です…)
        とどのつまり、「プラナはシャーディーと会う以前からプラナだった、その目的も決まっていた」というのが暫定的な解釈なのですが(運命論的ですね…ヘヘ…)映像的にはプラナの力ってシャーディーが与えたもののようにも見えるんですよね。難しい〜



        ▼冥界と高次の世界

         ちょっと三次的なお話になってしまって申し訳ないのですが、ツイッターで「アテムがいる冥界=プラナたちが目指す高次の世界」という解釈をめちゃくちゃ頻繁に見かけるんですね。ですが何度読んでも全然しっくりこない!何度見ても気持ちが分からない!その理由を考えてみました。
        その前に、そちらのよく見かける解釈を私なりに解説。
        • リングの支配を受けた藍神VS遊戯&海馬は現世と高次元の狭間で行われた
        • よって、高次元に存在するアテムが光臨することができた
        • 高次元の頂上を司るアテムが現世に降りて来ることで、プラナの目指す次元上昇が阻害される
        こんな感じのはず。すごい、めちゃくちゃ理屈が通ってる…!
        そして発見した私がしっくりこなかった理由はこちら↓

        理屈が通っているから。

        以上です。
        ウワ〜〜〜〜「バカか???????????」と思われそう!!!!!!笑
        ですがそうなんです。ちょっと考えてみたんです、アテムが「来れるから来た」ってちょっと嫌じゃないか?と…!私としては「理屈では来れるハズなんてなかったけど、遊戯の思いの力で奇跡的に出現できた」のほうがずっと嬉しいんです!素敵なんです!ロマンチックなほうがいいんです!

        というわけで
        • 冥界・高次元・現世はすべて別世界、複線的な存在(縦ではなく横に広がってるイメージ)
        • アテムが現世、遊戯のもとに光臨できたのは二人の思いの力による奇跡(理屈不要)(プリキュア的なパワー)
        • アテムの復活が次元上昇を阻害するのは千年アイテムの力の兼ね合い
        こう解釈することにしました。

         理由がないほうがときめくことってあるんですよね。漫画におけるインチキ科学によるパワーアップ(ナントカエネルギーがナントカ波長と同調しナントカの力が増大して最大出力が何%跳ね上がった!)とかよりも、愛の力でペダル回してゴールするほうが好き(突然例えがピンポイント)っていうのを再確認しちゃった感じです。好きに読みます。おそまつさまでした。


        ▼まとめ

         今回は以上です!すごい!いよいよ本当にとりとめがない!www感想ブログのテーマが「分からなかったこと」って中々ないですよ!!!笑
         ちょっと自力で強引に答えを出してる部分もありますけど、本当に噛めば噛むほど味が出て、観た人の数だけ答えがある、奥行きのある素晴らしい作品だなぁと改めて感じています。

         次回は明日の大喝采上映ですヤッター!!実はチケット戦争惨敗だったのですが、優しい後輩に声をかけてもらっちゃいました…☆ 嬉しい。ダブルで幸せです。

         大喝采上映で感想書けるのか…?と思いつつ、レポになっても何かしら綴れたらいいなぁと思ってますー!
        ここまでお読みいただきありがとうございました!
        あと7/18の千バトで藍神本出すのでよろしくお願いします〜!(突然の宣伝)
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          【第三回/遊戯王DOD感想】藍神お前ほんとかわいいな

           DODを観た回数感想を書く挑戦、早く書かないと次を観てしまうというのが最大のネックになっています…(笑) 5/8の舞台挨拶を控えて三回目の感想ブログです。
           今日のテーマは「藍神」だァ!そのままじゃねーか!笑
          というわけで、藍神…お前ホント可愛いなァ…で有名な(?)藍神くんです。もう前二回で彼の話もだいぶしてるのですが、今回は彼周りのキャラの関係性を中心につらつらと萌え語りしようと思います。


          【第三回/遊戯王DOD感想】藍神お前ほんとかわいいな


          ▼藍神と海馬

           「自分の中の割合を大きく占めていた誰かを失った二人」です。アテムとシャーディーを失ったのは過去、最先端技術でアテムとの再戦を試みる海馬と高次の世界を目指すプラナとしての藍神は果たして未来を生きているのか。
           起点は類似しながらも、作中では徹底的に対比されているような印象を受けました。前回の記事でも触れましたが、「集団の周波数によって個を認識しているというプラナの理念」と「己の信念によって自己認識しプラナの力を跳ね返す海馬」という葬祭殿のシーンなんかは顕著です。
           そして藍神にとって、シャーディーの教唆にあったような「奪うもの」「支配者」のイメージは海馬瀬人なんだろうなというのを「独裁者」と揶揄する言葉からも感じます。幼少期に搾取され被支配者側だった藍神は、ファラオの復活を阻止するという目的以上に、一権力者と言える海馬を一泡吹かせたいと感じていたのかもしれません。つまり、藍神の解釈ではたぶん海馬は「シャーディーの教えからほど遠い下等な人間」くらいのものなんでしょう。故にそんなヤツに負けるわけがない、という挑発的な態度が危なかっしくも可愛らしい。その人もうそういう次元じゃないから!って教えてあげたくなる(笑)

           結果的に己が信念によって神を操る海馬に驚嘆させられる藍神。「ファラオのしもべであるはずのオベリスク」を海馬が手なずけるということはつまり、”シャーディーがつかえた「王」により近しいのは海馬なのではないか?”という、前述のようなカテゴライズを覆す疑念を彼の中に生んだように思います。
          幼少期「怖いもの知らず」な純粋性をシャーディーに諭される場面もありますが、藍神のシャーディーの言葉の解釈はずっと変わらず脆く、どこか幼稚な印象を受けます。その思い込みが彼を突き動かす力であり、それでいて最大の弱点であると分かるのが海馬との対峙であるように感じました。
           でもこの二人、書き出しでも少し触れましたが、「掘れば似てる」ように思えてならないのです。DODはことごとくセンスがいい。こちらは遊戯と藍神のくだりでまた。


          ▼藍神と遊戯

           さ〜〜〜〜超難しいところですよ〜〜〜〜(その出だしはどうか)萌えたところの言語化にやたら悩みました。ちょっと日本語不明瞭でもお許しくださいね。
           まず、藍神が個人として執着するのはあくまで獏良であって、遊戯はあくまで「プラナ」にとって「ファラオの魂の器」であり「我々の仲間」なわけですよね。なので、ほぼほぼ個人の意思(復讐心)で行動をとる藍神が、プラナとして遊戯を高次の世界へと誘うシーンは初見時多少唐突な印象を受けたのは否めません。
          が、藍神の価値基準は一にシン様二にシン様、三四がなくて五にシン様みたいなものです。遊戯は藍神にとって「シン様の審判を経た王の器」であり、限りなく高次元に近い存在であると認識していると想像ができます。つまりシン様が認めた存在を何の疑いもなく仲間と認識してるんですね。だから取り立てて遊戯に対する認識がどうこうという描写がない。すごい、ナイス妄信!!!ここでも彼の危なっかしさが露呈している気がします。可愛い!(合いの手)

           そして憎むべき獏良の仲間であり、彼を愛する者の一人である遊戯。嫉妬…というと平たすぎる感がありますが、自分から大切な人を奪った獏良(まぁバクラなんですけど)ではなく自分を選んでほしいという思いが無意識的に働いていたとしたら…遊戯にはシャーディーの代替として自分を認め、同士となり、導いてほしいと願い、彼をプラナに誘った。束の間の遊戯への執着は、彼の愛の渇望だったのではないでしょうか。藍神は「シン様が認めた王の器」である遊戯に自分も愛してほしかったのかもしれません。

           遊戯が自分の世界の「今」を生きる決意を藍神に示し、高次の世界への誘いを断るシーン。「復讐の先には何もない」という言葉がやけに心に残るのは、アルカトラズで闇遊戯が海馬を諭した言葉に似ているからでした。「過去」の記憶を追い求める遊戯が、「未来」へ進む海馬の足枷に触れた言葉です。
          先ほど「海馬と藍神の根本は似ている」と書いたのは、このシーンの共鳴を指してます。海馬と藍神の「憎しみ」はそれぞれ似て非なる感情でありながら、前へ進む二人の足元に重く絡みつく「過去」なのです。
           闇遊戯が海馬に対してそうであったように、遊戯もまた藍神のしがらみに気付き、解放を望んだのは、「過去」の尊さとその思い出の強さを誰よりも知っている証のように思えました。


          ▼藍神とセラ

           兄の「個」の感情をプラナにとっての異分子として危険視し、警鐘を鳴らす役割を担うセラ。終盤の彼女は妹として兄の救済を望みますが、基本的に「プラナ」の意思の代表としての描写が目立つような印象です。
           藍神にとって、セラは決して理解者にはなり得ません。同じようにシン様を失った境遇にありながら、セラが"異分子”である憎悪の感情を持つ藍神に対して「共感」や「同情」をし得ないのは、集団で意識を共有し意思が画一化されたプラナの悲哀とも言えます。
          彼の悲しみに最も同情し傷ついたのは、彼が憎んだ獏良自身であるという皮肉めいた事実が、プラナという存在の物悲しさを裏付けているような気がしました。
           だからこそ、プラナの力の消失を受け入れ、新しい未来に進む彼らのラストシーンが美しく温かいものになっているのかもしれませんね。手を取り合う兄妹の体温が伝わってくる、本当に大好きな場面です。


          ▼まとめ

           藍神どシコ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

           彼のプラナの理念がどうこうっていうより「シン様超大好き!シン様殺された!クソ現世!やってられるか!」って感じなのめっちゃ性癖です。自暴自棄なヤケクソ復讐者ほんとうにかわいい。
           次回はそのシン様についてちょっと書けたらなぁと思ってます!構想中という名のノープランです!

           ここまでお読みいただきありがとうございました〜!
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            【第二回/遊戯王DOD感想】それぞれのキャラクター〜原作とアニメとDOD〜

             初めましてこんにちはみかみです!2回目のDOD感想ブログです。前回は「劇場版にZEXALみを感じたぜ!嬉しいぜ!」って話を延々書いたのですが、やっぱり原作ファンたるもの原作ベースの話にも触れねば!(使命感)ということで、各キャラクターに焦点を当て、アニメ版デュエルモンスターズと比較しつつ触れていきたいと思います。たぶんほとんど萌えたものメモになりそうなのでとりとめないです(笑)
             アニメ版は時代柄(?)アニメオリジナルストーリーや設定改変が多く、それはそれとして成立しているので「こっちのほうがいい、悪い」みたいな議論をする意図は毛頭ございませんということを前置きさせてください。

             例によってネタバレ満載ですので、未見の方は早く劇場で藍神シコってえっちな藍神くん描いて私にくださいね!

            【第二回/遊戯王DOD感想】それぞれのキャラクター〜原作とアニメとDOD〜


            ▼御伽龍児〜アニメの改変っぷりを思い出す〜

             えっマジで言ってんの?マジで御伽で書くの??あの映画見て出だしが御伽ってむしろ失礼なのでは?!(爆笑)
            すみませんやっぱり彼のことが大好きなのでお先に書かせていただきます。
            彼はアニメ版(以下DM)で出番がめちゃめちゃ増えていまして、原作と性格も役割も違うのですが、改めて結構な改変があったのだな〜と感じました。つってもセリフ「そんなボロ直るの?」「僕もネットで見たぜ」と「ごゆっくり〜」くらいしかないんですけどね!!!!!!!笑
            DMだったら「僕もネットで見たよ」になるかななんて思いながら見てました。DMの御伽くんは物腰柔らかくてちょっとナヨっとした雰囲気もありますが、原作の彼はかなりプレイボーイ(ぶってる)印象。トレーを扱うときの気取った仕草も細かくて、スタッフさん方の無限のこだわりを感じます。原作〜劇場版の御伽くんはちゃんと(?)女の子と遊んでそう。DMは本田くんと小学生みたいに静香ちゃんの取り合いしているので…(ただしリアルファイトはする)(あの喧嘩シーンはちょっと口悪いの可愛いですよね)
            あ〜御伽くんに思わせぶりなこと言われてドキドキしたい!!あ〜〜〜振り回されたい!!!彼のことはどうしてもエピソードが多いDMベースで考えがちだったので、久々にこういう気分になりました。どうでもいいですね。

             劇場版の御伽くんの私服やたらナウくて、ドクロのバックルとか心底ナシだなって思うんですが、かかとが高い靴のソールと絡まりそうなほど長い脚も相も変わらないメテロセクシャル的な所作(超性癖)も可愛くて最高でした。原作はアニメの「仲間の一人」的なポジションと違い「敵として出てきたが許された」程度の位置なので、「何かあるだけでありがたい」という加点方式で見られるのがすごく嬉しいですね。

             そしてまさかのパパですよ!!!パパ登場!!!!御伽パパは遊戯に対して(双六への逆恨みによる)復讐を試みた結果失敗して自らのゲーム屋を焼失してるんですが、すごい勢いで許されてるし、火災で遊戯ともども結構な迷惑をかけた城之内に「クビだ〜〜〜!」とか言ってるの超偉そう。マジか。横柄なオヤジだな。
             しかし、一見全てを失ったように見えた御伽親子がああやって健やかに生活してる姿が見られたのは、何気ないようで凄くホッとしました。許される、やり直せる、なんかやっぱりちょっとZEXALに通ずるイズムがあるのかも(第一回の感想に戻る)。

             余談なのですが、渋谷HMVのトークショーで加々美さんが闘いの儀のシーンの作画のお話のとき、「御伽もバンダナしてて髪もちょっとカクカクしてる」とわざわざピックアップしてくださったのにえらい感動したので添えておきます。DMの古代編に参加できなかったのが心残りだとおっしゃっていて、あそこは原作絵を模写するように作画されたそうですよ。嬉しいお話ですね。

             すげえな、御伽の話だけでこんな書いちゃったよ!笑


            ▼海馬瀬人〜人知を超えたキャラメイキング〜

             海馬は、私が最も視聴している遊戯王シリーズ=GXにかなりの頻度で登場してるDMキャラなんですね。原作とは別ルートであると認識はしつつも、なんだかんだそのイメージが凄く強かったんだなと思いました。アテムが冥界に旅立った後、デュエリストとしての第一線は退いて社長業(経営)のほうに集中してるのかな〜…なんてぼんやり考えていたんです。完全にGXでの登場シーンやデュエルアカデミアを経営している設定の印象ですよね。でもそんなのは常人の発想だったんですよ。やっぱり創造神の中の海馬瀬人は違った。

            「アテムを葬らなければいけなかったのはオレだった それを成し得なかったために奴の亡霊がオレの心を彷徨い続けている」
            まさかの冷静すぎる自己分析

            「だからなんとしててでもアテムと再戦する」
            解決方法のチョイスにケレン味なさすぎるな?

             海馬のアテムへの執着はやっぱり映画を見た者には「狂気」のように映るんですよね。自分で開発したシステムにキレる。パズル組み立てのために宇宙ステーション作っちゃう。自分で作ったAIに「世辞はいい」とか言っちゃう。そしてそれは全てアテム復活に続く道。
            それでも彼の中の論理は全く破綻していないし、動機と行動にも一貫性があって決してブレない。「だからカッコイイ」のか「だから余計に怖い」のか、はたまたそれらが両立しているのか…「海馬瀬人」オリジナルの哲学が完全に完成されていて、それが社会規範や他者に一切影響を受けず彼の中に悠然と存在していること。私としましてはそういった海馬の強者としての自律性は彼いちばんの魅力だと思いました。海馬瀬人を海馬瀬人たらしめるのは他でもない海馬瀬人であるという事実。彼のキャラクターメイキングは、藍神たちプラナの集団周波数により物事を認識・記憶する理念と美しいコントラストを成す構造なのかもしれません。

             そして彼の目は一生闘いに飢える戦士としてギラつき続けるのでしょうか…想像するだけでゾクゾクするところではありますが、私は海馬がそれを満たすために「遊戯」を「アテム」の代替にしなかった、というのは劇場版で特筆したいポイントの一つだと思いました。遊戯がアテムに「及ばない」のではなく「また別のデュエリストの一人」であるという認識が垣間見える終盤、むしろ遊戯に対する最大のリスペクトのように思えてならないのです。
             そして「信じていたんだね」と海馬のアテムへの執着を肯定できる遊戯もまた強者であり(彼は本当に「優しさという強さ」の権化!)、それにそっと目を逸らして「それはどうかな」と静かに答えたときの二人の空気が、この劇場版のクライマックスにふさわしい温かさを内包しており、それでいてこれ以上ないほど気高く、かっこよかったです。


            ▼アテム・闇遊戯〜全ての物語の交差点〜

             テクノロジーとオカルティズム、大切な人を失った過去、そしてその後の未来…作中で対比され、輪を描き、共鳴する要素全ての中心にアテムがいる。冥界に旅立ってなお「遊戯王」という物語に君臨している。劇場版の物語を俯瞰したとき、彼がこの作品の「顔」であり「華」として輝き続ける喜びがあります。展開の主体が海馬であっても遊戯であっても、彼の椅子は唯一無二のものとして空けられているような気がしました。
             変わっていくことがあるから、変わらないものが尊く、美しく感じるのかもしれません。

             城之内くんにも遊戯にも会ってあげるのに海馬には「会いに来させる」という不遜さが色っぽいですよね。(「いやちょっとくらい会って帰りゃいいじゃんあんな会いたがってんだからさ〜〜〜!」と思わなくもないですが!笑)
            パズルに宿り現世に居た頃から「海馬の執念を受け入れ続ける」彼の姿勢は海馬の想いへの「応え」の積極的な表明だと私は想っています。勝ち逃げしたっていいし、海馬を解放する方法も彼ならば持っているかもしれない。なのに海馬の挑戦を受け続ける、闇遊戯・アテムの想いもまた壮大なんですね。

             余談なんですが、マハードが登場した乗っけから客にケツ向けてる絵コンテなのすげ〜〜〜主従萌えツボ爆突きですよね〜〜〜〜〜!!!!!!!!「私がお仕えしているのはこのアテムさまです!!!!!!!!!!!!!!!」という全面アピールがヤバイ。まさかケツ向けられるとは思わなかった。アテムから見たアングルにしなかった絵コンテ、GJだと思います。その後お顔が見えたときのドキドキ感も増し増しです。4週目何回行こうかな。


            ▼獏良了〜もう一人の中心人物〜

             みなさん獏良がこんなメインストーリーに食い込んでるって予想できました?????私は無理でした!!!どエラいビックリしました!!!!!いい客だな!!!!!
            原作ベースの新規情報が時を越えて供給されるの、本当に嬉しいですよね。恵まれたジャンルだと思いました。
            時系列の考察は詳しくやってくださった方がいらしたのでそちらをお探しいただくとしまして(笑)、私としてはやはり藍神との関係性を押さえたすぎます。
             前回の感想でも触れたのにどんだけ大好きなんだよって感じですが、「涙を浮かべて自らの"肉体”が犯したらしい罪を悔いる獏良」のシーンです。これ「大切な人を失くした藍神」に対する慈愛や同情や共感に近くて(真の謝罪というにはバクラがやったことで彼の記憶にはないですからね)、この作品の根幹とも言える役割を持った場面なのではないかと思うんです。
             海馬も、遊戯や城之内たちも、藍神も、獏良も、誰か大切な人を失っていて、喪失感や悲しみをそれぞれ持っている。それが誰に否定されることもなく、どこかで交わり、理解され、受け入れられ、それぞれの「今」を生きている…私が見た遊戯王DODはそういう優しい作品なんです。その最たるシーンが獏良と藍神の対峙なのかもしれません。
             「バクラ」との関わり以外でそれほど多く語られることのなかった獏良が、同情的で心優しく、他者とまっすぐ向き合いと望む強さをもっているということを、2016年改めて知れて大変嬉しく思いました。
            獏良の存在は遊戯王DODに漂う「優しさ」「人の温度」を強く、強く印象付けてくれます。


            ▼武藤遊戯〜ずっと前から主人公〜

             もういつどこで見たのかも忘れてしまいましたが、「闇遊戯は主役、表遊戯は主人公」という表現が大好きで、見た瞬間膝を打つ思いだったのを覚えています。主役は作品の顔、主人公は作中で最も成長する人物、という定義だったかと思います。まさに、まさにです。

             冒頭の日常シーンで明かされるゲームクリエイターになるという夢、実に彼らしくて素敵だと思いました。屋上で夢を語るシーン、期待と不安がない交ぜになった青春の風が心を掠めますね。「本編後」であるという時の流れを印象付けるとともに、「もう一人の僕」の姿を追っていない遊戯の姿が描かれます。
            これもまたアニメオリジナルシリーズ(とその派生)の刷り込みだな〜と思ったんですが、別に表遊戯は闇遊戯のあとを追ってデュエリストキングの称号を得たりタイトルを獲り続けたがるようなタイプでもないですよね。GXとか超融合でデュエル大会でまくってるみたいに描かれていたことを振り返って「そういえば…」と思ってしまいました(笑) …それはそれとして!
            かつて「憧れだった」闇遊戯とは確実に別の道を進むことを決意した遊戯が、彼との別れに想いを馳せる夕暮れの橋のシーンの美しいこと。(忘れなくてもいい、という城之内くんの言葉がまた温かい。この映画ほんと端々まで人の温度がある…)

             「アテム」に囚われる海馬と対比せんと言わんばかりに、時間の経過を感じさせる遊戯。そんな主人公の彼が海馬の想いを肯定し尊重してくれること、闇遊戯の後ろ姿は追わなくても会いたいと思ってくれる素直な気持ち、遊戯王の中で描かれる多元的な「強さ」は遊戯の魅力そのものだと思いました。
            遊城十代の魅力を語るときにもよく使ってしまうフレーズなんですが、私は「他人の自尊心を傷つけない主人公」が大好きです。海馬の執念を決して否定しないこと、藍神の誘いを自らの思いで断って「今」を生きる意思を示す真摯な態度、表遊戯も私が好きな主人公の一人であり、この劇場版を魅力的な作品にしたのも彼の「優しさという強さ」なんですね。これも何度も言う(笑)


            ▼雑談とまとめ

             ここまでお読みくださった方いらっしゃるんですかね?!!?wwwいましたら本当にありがとうございます!!!!ピックアップしたこの5人の中に御伽が入ってるの絶対おかしいと思うんですが、欲望に忠実に、自分がワーッと書きたい5人に絞って書いてみました。前回出し尽くしたとか言ったくせにこの長さ…笑

             ところでですね、先日行われたイベント!参加してきました!
            大好きな桑原監督を前にだいぶ崩壊した日本語を口走ってしまったのですが、なんとか意味が通るように要約すると「作品をどう解釈して読んでも良いという監督のコメントが、自分が見てきた遊戯王キャラのたくさんの人生を肯定してくれているようで嬉しかった、何度でも見たいです」ということをお伝えしてきました。
            本当に話した言葉はもっともっとメチャクチャでしかも涙声だったんですが、監督は「それができるのが映像作品の良さですよね」としっかり汲み取ってレスポンスしてくださるという神様でした。(何故か気が動転して握手を二回求めてしまったのですがそれにも応えてくださって…ありがとうございましたほんと…)
             というのも、トークショーの中で、「映像作品はどう読んでもいい」というスタンスを述べつつ「作り手としてこう読んでほしい、こう感じてほしいという思いはある」ともおっしゃっていたのがとても印象的だったんですね。構造主義的な価値観による読解を推奨しながらも、作り手の「意図」に自覚的であるというのが、クリエイターとして非常に崇高な姿勢だなと、尊敬を禁じえませんでした。感じたのは作品に向かうただならぬ「意思」と「愛」です。それへの感謝が…もっと上手い日本語で…伝えられれば…よかったなぁ……
             せめてもの反省(?)で、今回はキャラごとにフォーカスして長々綴ってみました。キャラによって造詣にムラがあるかも分かりませんが、少しでもお楽しみいただける部分があったならば幸いです。


             2回目こんだけ書いたら3回目も書けそうな気がしてます。また近々!
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              【第一回/遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONS感想】ZEXALファンから見た劇場版

              またこのブログを使う機会が来ようとは!初めましてこんにちはみかみです。待ちに待った劇場版遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONS(以下DOD)が公開となりましたね!私はまだ1度しか見れていないのですが、とりあえず初見のフレッシュな所感を書きとめておこうということで【第一回】と銘打ってみました。

              ですが盛りだくさんの130分、気持ちの赴くままに書いたらとっ散らかることうけあいです。
              というわけで今回はファーストインプレッションで最も思うところがあった「ZEXALファンとして見た遊戯王DOD」を軸に書かせていただこうと思います。

              当たり前ですがネタバレ満載なので未見の方は早く劇場に行って藍神くんでシコってください。
              心よりお願い申し上げます。できればえっちな藍神くん描いて私にください。



              【第一回/遊戯王DOD感想】ZEXALファンから見た劇場版


              ▼想像以上の「桑原色」の濃さ

              ※「どのスタッフがどこまで携わっているか」というはあくまで主観と予想の範囲なので、異論はめちゃめちゃ認めます。

              観劇中そこかしこで「今すっごいZEXALだった」と思った遊戯王ファンの方、少なくなかったのではないでしょうか。もちろん劇場版の監督はご存知桑原氏なので当然と言えば当然。ZEXALを3年見ていれば彼のモンスターの見せ方、画面の作り方、なんとなく把握している方は多いはず。ダメージを受けた直後膝をついてトラップ発動(これ大好き)、遊戯のピンチに目を伏せる杏子etc.. ああ〜ッどっかで見たことある〜〜〜ッ!!とはいえ前情報で絵コンテを担当としていることは知っていたのでこの辺は想定の範囲内。
              しかしその想定を超えるデジャブ要素。デュエルはエースモンスター一騎打ちメインのいわゆる召喚獣バトル系、ふんだんな日常描写、特に女子にきゃあきゃあ言われる獏良のシーンが2回も入り、涙を浮かべて(リングに操られていたとはいえ)自らの肉体がシャーディーに手を下したことを悔いる獏良に心揺れる藍神。メインキャラがやたら女子にモテるし復讐者は総じてチョロい。これめっちゃZEXALで見たやつだ。
              見ながら「桑原監督もストーリーメイキングに携わってるに違いない」という確信がありましたが、エンドロールでサラっと脚本が連名されていましたね。うん…脚本やってたなんて前情報で1度も聞いてないけど(笑) 然もありなん。納得です。

              だから何だと言いますと、この映画で「自分がZEXALで好きな要素を反復してくれている」という喜びがあったという話なのです。私が過剰に桑原監督を持ち上げがちなことは自覚しているのですが、やはり「キャラ描写(日常描写)」重視で作品を作ってくださる価値観が他の何を差し置いてもありがたく、その点本当に肌に合ってる…と改めて感じた次第でした。

              以降、私が感じたその「反復」についてピックアップさせていただきます。


              ▼藍神のキャラクターメイキング―「科学」と「神秘学」

              藍神ちょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜シコいですよね!!!!!!いや、そういう話はツイッターでします。ごめんなさい。
              彼が妄信するシャーディーの教唆は古代からの言い伝え、言わば神話チックなものです。それに囚われて他を排除しようとする藍神の存在は、過去と宿命の呪縛を受けるZEXALのバリアンのようなキャラクターだと思いながら見ていました(プラナの目指す「次元上昇」の理念はむしろアストラル世界の「ランクアップ」に近いですが、あくまでキャラ造形の印象として)。
              桑原監督は彼に対して「遊戯たちと出会って自分の生き方が間違っているのではないかと気付きかけていたが、彼はもうその道を行くしかなかったのではないか」という解釈をパンフレットのコメントで残しています(客観的な解説じゃなくて個人的な萌え語りみたいになってるところ最高に好きですね)。
              私は神代凌牙/ナッシュ厨として(※)、このコメントに監督の壮大なカタルシスが潜んでいることを感じ取らずにはいられません。この人「後戻りできない悲哀の復讐者」がよっぽど好きなのではないか?!笑
              ※凌牙は監督の寵愛を受けていたと言われがちなキャラクターです(根拠例:監督ツイッターでの取り上げられ率、91話の特別OP etc...)

              一方、高橋和希先生曰く藍神ないしプラナの存在は「大衆の周波数を瞬時に束ねるSNSのメタファー」とのこと。古代の教唆に囚われる藍神が、テクノロジーの一端であるSNSの暗喩であるというのは非常に興味深いです。
              しかしながらZEXALも同様に「サイエンス(科学的力)」と「シャーマニズム(神秘学的力)」の互換が示されている遊戯王作品であると言えます。遊馬たちはデュエルのARビジョンを目視するためにDゲイザーを装着しますが、カイトは「科学力」によって、バリアンたちはバリアルフォーゼによってそれを必要としません。極め付けにトロン兄弟は「トロンにより付与された紋章の力(バリアンの力)」から兇如岫垢開発したアイテムによる力(科学力)」に移行し、全く同じ機能を得ています。
              私はZEXALにおけるこの科学と超自然が地続きであるという表現がとても好きで、一見相反するものが表裏一体であるという概念は「光と闇」「善と悪」の構造を複雑に表現し続けてきた遊戯王らしい表象だなぁと思っていました。
              藍神のキャラクター始め遊戯王DODにもそれらが散見され、非常に嬉しく思っております。

              藍神の話題からは逸れますが、海馬の最先端テクノロジーによるアテムの蘇生も一周回って古代エジプトの「死者の書」の実現ですもんね。「海馬が目指すものの行き着く先が彼の大嫌いなはずの"オカルト”と同義になってしまっている」という事実でさえ、海馬の執着心の強さを色濃くしているようでゾクゾクしました。


              ▼「優しさ」の温度

              ZEXALの話から始めてしまい恐縮ですが、ZEXALが悪役を作らないストーリーメイキングだったことは賛否両論含めて周知と言っていいでしょうか。すぐ許すしすぐ許されるし、諸悪の根源が移動したり、そもそもそんなものはないみたいな展開が凄く多いんですね(笑)死んだキャラもみんな生き返るし、別れたはずのアストラルともわりと気軽に会えそうな雰囲気を示唆して物語が終わります。恣意的な言い方をすれば「エグみがない」などと表現できるかもしれません。
              GXで異世界の闘いを経て仲間との距離を置き孤立する十代、5D'sで今を生きる人々の未来のために消滅した未来組…遊戯王シリーズにおいて「喪失感」がある種の魅力であったことは否めず、「ZEXALでももっとエグい"不条理”や"無念”にカタルシスを覚えたかった…」という遊戯王歴代シリーズ視聴者の意見も説得性がありますし、私自身それもすごく分かります。

              しかし、「遊戯とアテムの別れ」はどうだったのでしょうか。

              私は、最終回を読んだあの日から遊戯とアテムはもう二度と会えないと思ってました。
              遊戯の自立においても、アテムの宿命においても、二人の再会はあってはならないと感じていました。

              ですが… あ、会えましたね…!?!?

              予想と確信を180度裏切られた展開にも関わらず、私は死ぬほど嬉しかったです…!!
              「会いたかったら会っていいんだ」という優しさ、すごく温かく感じました。
              城之内くんもアテムに会ってるというのもいいですよね。しかも彼、遊戯がアテムに会うまでそのことを言わないじゃないですか。闘いの儀の宿命を理解して王の魂を冥界に見送ってもなお「遊戯はアテムに会いたがっている」ということを理解した上での気遣いなんですよね。城之内くんのハートフルなキャラクター性と今作の価値観がマッチしている、屈指のお気に入りシーンです。
              もちろん「遊戯の成長」も細やかに描かれ、「アテムとの再会」と矛盾することはありません。

              そして海馬には会わず会いに来させるアテムカッケー!いや会いに行っちゃう海馬も凄いですけど!笑
              ここで、海馬が「アテムと再戦したい」と願ってやまない執着が、作中の誰に否定されることもなかったということも述べておきたいところです。遊戯が伝えたかったのはあくまで「パズルにアテムの魂はない」ということであって、復活させてはいけないだとかそれはさせないと言うことはない、むしろ「信じていたんだね」と彼の執念が肯定すらされる世界です。海馬と闇遊戯の関係性が大好きだった身として、このスタンスはとびきり嬉しかったと特筆したい所存です。

              「アテムとの再会」、この点において想像より遥かに「優しい」価値観が展開されていたのは心地のよい驚きでした。そして私はそれを「ZEXAL的だ」と感じています。高橋先生の価値観が元々私の見てきたZEXALに近しいものだったのか、桑原監督が付与したテイストがODOの世界観をそうさせたのか、はたまたお二人が類似した感覚をお持ちなのかは神のみぞ知る(まさに!)ところですが…。

              人が人を思う温度があたたかい、各種壮大な「愛」の物語。少なくともDODもまた私の好きな遊戯王だと感じています。


              ▼まとめ

              ここまでお読みいただきありがとうございました!第一回とか言ったわりに結構出しつくしてしまった気もするのですが…(笑) 2回目を見た際にまた別な視点で綴らせていただければいいなぁと思っております!
              ぶっちゃけると「まぁフツーに面白くてカッケーんだろうな〜」くらいの気で見に行ったので、こんなに自分の軸というか根底の価値観にフィットすると思っておらずですね…藍神くんにこんなハマるとも思わず、予想外の遊戯王DODライフをエンジョイできそうです。
              4/27のイベントにも参加するので、そちらを踏まえたらまた何か変わるかもしれません〜

              ではまた!
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                私が遊戯王の過去作キャラ使用にキレる理由

                改めましてみかみと申します。どこに書いていいか分からないので大昔に使っていたブログを引っ張ってきました。他の記事は全部嵐なので「突然の遊戯王!」という感じですが、遊戯王ARC-Vの話です。
                2月のWJで明日香・カイト、後日イベントでエドのARC-V登場が告知されましたね。この記事はその話がメインです。
                正直「多くの人がキレているあまり、自分が怒る理由を言語化しそこねている」現象が起きつつあるのではないか、自省と備忘の意味を込めてこの怒りを文章化しておこうではないかと思い立った次第です。

                ※本題の前に注意事項
                私はデニス退場以降の約1クール分ARC-Vを見ていません(理由はEDの沢渡とセレナの本編エピソードと関係のない描写に耐えられなかったからです…)。その後は遊矢VSクロウはとりあえず見て、エドが出ると聞いてから真面目に視聴を再開した出戻り野郎です。
                あくまで「GXないし過去シリーズファンとして」の記事に留めたいと思っていますし、もちろん未視聴エピソードを聞いた話で語るようなことはしません。ですがシンクロ次元編の大筋やジャックとクロウの役割には触れます。「全部見てない奴に何も言われたくない」という野次はご遠慮いただきたいので、そう思われる方はここでお帰りください。


                <私が遊戯王の過去作キャラ使用にキレる理由/目次>
                )榲にそのキャラである必要があるのか?
                △修鵑覆海箸鬚靴討い訃豺腓覆里?
                まとめと遊戯王のこれから
                いまけの雑談
                 

                【)榲にそのキャラである必要があるのか?】

                ジャックとクロウはあくまで前例ですが、彼らの話。詳細は割愛しますが、諸々の設定が大きく違います。
                ざっくり「見た目と名前と声は同じで、性格や設定はぼんやり面影を拾った程度の別人」といった具合です。

                その設定の差異が「ジャックは“2周目”なのではないか」(まどマギのほむらのようなタイムリープをしているのではないかということ)「遊星が存在し得ないIF世界なのではないか」などと想像の余地を与えている側面もあるようです。そのような考察を楽しんでいらっしゃる方々のことは素直に尊敬します。私は好きだった5D'sのキャラと乖離している時点でぶっちゃけ全く興味がわきません。「もしクロウがアキと出会わなかったら…」なんて、私はアキと出会ったクロウが好きだったんです。話が終わります。

                …楽しめるか楽しめないかはとりあえず置いておきますね。
                いずれにせよ何の説明もなく愛着あるキャラとよく似た人たちを引っ張り出してきて、その背景は「ご想像にお任せします」というのはあまりに不誠実、というのが現在の印象。
                二次創作だったら間違いなく「オリジナルでやれ」と叩かれるレベルの設定改変です。過去作本編と設定を違えたARCクロウ・ARCジャックの存在が一体どういう設定なのかということも作中で解説・示唆されておらず、「ARC-Vという物語的文脈」における「過去作キャラ再登場の説得性・必然性」は今のところ無い状態と言えます。

                例えば超融合だったら、「精霊が実体化している事件の調査をする十代」「じーちゃんを救いたい遊戯」「スターダストを奪還したい遊星」と、3人の主人公が共闘する動機がきちんと描かれているのです。他でもないこの3人が時空を超える説得性が物語の中にあります。何の説明もなしにただ設定が違うだけのARCジャックとARCクロウにはそれがない、ということです。

                「完結している5D'sの世界をいじくるのは難儀だった」という大人の事情は想像できますし、「本人として出したキャラを本編と矛盾なく似せて描くのを試みるよりは最初から別人設定のほうが安全牌である」=「下手に描かれるよりは別人という逃げ道があるほうがマシ」というなんとも消極的な製作側と視聴側の利害の一致も分かります。

                ですが、それら全ての説が「わざわざ別人にするくらいなら過去キャラ(の見た目)使う必要あったのか?」という疑問に行き着くのです。
                じゃあオリジナルキャラでよかったよね?
                なぜARCのオリジナルキャラに今のジャックとクロウと同じ役割をそれぞれ課さなかったのか。
                (遊矢を諭す役は赤馬でもよかったのではないか)

                物語上で「ジャックとクロウ(の見た目)である必然性」が描写されてない以上、
                彼らの登場が「話題性」のためでしかないというメタ視線の結論で納得せざるを得ないのです…。
                BF、売れたのかな。


                【△修鵑覆海箸鬚靴討い訃豺腓覆里?】

                肝心なはずのARC-Vオリジナルキャラたちの話がいっこおおおおおおおおおうに進んでいない!!!!!!
                遊矢シリーズの謎に関しても言ってしまえば放送開始数話目の「オレとそっくりの顔のやつがいる!」というところで未だにアイドリング状態。ただし人数は増えてる。
                「長期アニメなんだから…」「長い目で見れば…」という気の長い方もいらっしゃるかも分かりませんが、「1話」「1エピソード」「1クール」「1編」スパンのテンポの良さや爽快さも長期アニメの評価の対象であることに間違いはないと思います。肝心の主人公視点での爽快さ=カタルシスに欠けること、それが最近のARC-Vにおいてもっとも気になる点です。
                放送3年目に突入しようという今、ARC-Vの中心となる話を、小気味良いテンポを意識して、集中して描き進めるべきだと強く強く感じます。

                ■遊矢シリーズ・柚子シリーズの謎
                ■遊矢自身の成長
                ■次元戦争

                主軸と思われるのはおそらくこの3トピックです。上手く料理すれば絶対に面白い要素なはずです。ARCキャラは可愛らしいキャラデザに恵まれ磨けば光る原石ばかりです。まずそちらに重きを置いて、もっと既存キャラを大事に描写していってほしい!1分1秒惜しんで愛されるキャラを描き出してほしい!


                【まとめと遊戯王のこれから】

                怒りポイントをまとめます。

                ・別人にするくらいならオリジナルキャラでよかったのでは?
                ・話題性のためだけに好きなキャラの見た目を使われているのではないか?
                 (=自分の好きなキャラの性格・人間性・生い立ちを軽んじられている気がする)
                ・過去キャラより他に描くべきことがたくさんあるだろ

                大きくこの3つです。
                日々のツイート検索において、過去キャラ再登場批判への反論で一番多く見かけたのは「別人設定なんだからキャラが違うと言って怒るのはお門違い」というご意見でした。「別人だからこそムカつく」ということもあります。ARC自体の展開を見て「設定がどうとかいう問題ではない」という怒りもあります。

                しかし、過去キャラ再登場に怒っている視聴者はほんと〜〜〜〜に多いです(あくまで主観、見えた範囲の話ですが)
                では、この展開は誰のためなのか?

                カード勢ですね。
                過去OCGテーマの強化です。それでしかないと思います。
                数年前から思い出したようにサイバー、E・HERO、ジャンク、と立て続けに過去テーマが強化され、歴代キャラがストラクのCMを飾り、コレクターズパックでも過去テーマカードが細々と新規追加されていました。
                D-HEROと機械天使は、まさにその「穴」、伸びしろありまくりです。銀河眼も根強い人気テーマですね。GXの二人が本編と同じテーマデッキを使うかは未確定ですが、デュエリスト界隈ではD-HEROの高騰が話題になっています。


                無論、遊戯王はホビーアニメです。玩具―カードが売れなきゃどうしようもないアニメです

                ですが、今まで遊戯王シリーズアニメがそのテーマ性、物語性、その味わい深さで人気を博してきたことは疑いようがないと思います。DMの王の記憶編はほとんどデュエルをやらない(カードの販促にならない)のに、2クールかけて完走。GXはストラクチャーデッキを引っさげたゲストキャラが何故か発売から数ヵ月後に出てきてアッサリ負けるという商売根性の薄さを見せ、それが愛らしかったりもしたものです。
                「ホビアニでありながら商業的要素に物語が左右されない安心感、本筋の展開を第一にしてくれる信頼感」がかつての遊戯王にはありました
                (他の不安要素があった話は今は関係ないぞ!)

                その信頼を、20周年の今、ドブに捨てようとしている…!私はそう感じています。

                ツイート検索をしていると、「昔D-HERO使っていたから、エドが出るなら見ようかな」「再登場なら強化くるな、D-HERO買い集めよう」という人がものすごく多いことに気付きます。こういう方がたくさんOCG現役に復帰してくれたら、さぞ儲かるでしょうなぁ。
                カードを買う人を大事にしていかなければならないのは当然です。
                ですが、それは「キャラや物語が好きだった人」を蔑ろにしていい理由にはなりません。

                とりあえず過去キャラの見た目だけ出して、話題になって、現環境でも実用的な新規を出して、カードが売れればよい。
                今の過去キャラの使い方を見ていると、そういう商業戦略に見えても仕方が無いのです。

                「物語が面白ければ・キャラがかっこよければカードが売れる」はずが
                「カードが売れれば物語・キャラは二の次」になっている現実が否めません。


                なんだかお先真っ暗みたいなまとめになってしまいましたが、立て直すチャンスはあると思います。
                エドや明日香やカイトが出てしまうのはもう仕方ないので、その登場に説得性を持たせること、そして何より遊矢たちがしっかり活躍してARCの話がきちんと進むこと、ARCの物語、遊矢の物語を大事にすること、それが第一だと思います。

                私は遊戯王が大好きです。物語も、キャラも、OCGも大事にしていたそこそこいいファンだったと思います。
                そして私以上に根強く熱心なファンが遊戯王にたくさん付いていることもよ〜〜く知っています。
                長年コンテンツを支えた人の情熱を、安易なキャラの再利用によって無碍にしないでほしい。
                この件はそれを願うあまりの怒りなのです。


                こんなクソ長ったらしい文章をここまで読んでくださった方にとって、ご理解や更なる思考、その整理に少しでも繋がれば幸いに思います。ありがとうございました。


                続きはおまけの雑談です〜
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                  嵐フェス!

                  嵐フェス!開催決定ということで!今から楽しみです(o^^o)!
                  チケットが当たるのか否かという不安はありますが…今年も参加したいなぁ。

                  そんなわけで何かと話題のアンケートですが、私の投票内容メモです。


                  【シングル】
                  ●Love Rainbow(やっぱり一番大好きな曲♪)
                  ●WISH(振付が可愛くて好き。他の花男主題歌より歌われ率が低いかな?とも思ったので)
                  ●ワイルドアットハート(新しい曲も聴きたい!振付もキュート!)
                  シングルは全曲潤くん主演ドラマタイアップ曲に…(笑)

                  【カップリング】
                  ●春風スニーカー(10年春のTV誌で翔くんが「春といえば」で挙げていた曲。思い出深い)
                  ●season(みんな大好きseasonは定番!)
                  ●タイムカプセル(風景コンのニノと相葉ちゃんの絡みが忘れられず…!)

                  【アルバム】
                  ●キャラメル・ソング(GimmickGameと迷ってこちらにしました 笑)
                  ●EYES WITH DELIGHT(ライブ向きのわりに近年は歌ってないような…)
                  ●ROMANCE(ちょっと地味?ですが個人的に好きな曲なので捻じ込みました)


                  Flashbackやリフレインも迷ったのですが、
                  なるべくライブ向きで最近聞いてないナンバーをメインに。
                  ぴかだぶやlove soは他の人が入れてくれると信じています(笑)

                  このアンケート、結果は公開されるんでしょうか?かなり気になるところ!
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                    「嵐」と主演ドラマ

                    またまた久しぶりの更新です。現在4話まで日テレ系にて放送中『三毛猫ホームズの推理』、言わずと知れた嵐・相葉雅紀主演ドラマです。『マイガール』『バーテンダー』(共にテレビ朝日系)は深夜帯の放送だったためか、どことなく内輪っぽいというか、どこまでいっても「私たちの相葉ちゃん」のようなイメージだったのですが(笑)、今回の土曜9時放送『三毛猫』ではまさに「みんなの相葉ちゃん」を披露してくれています。
                    相葉ちゃん演じる片山刑事は女性恐怖症、高所恐怖症、血を見れば気絶するという絵に描いたようなヘタレっぷり。バーテンダーで演じていた佐々倉が優れた観察力と豊富な知識を備えていたいわゆる「天才キャラ」だったので、それと比較すると本人もやりやすいと感じているような印象を受けます。
                    しかしその演じやすさが裏目に出たのか、時折「素」を通りこして盛大にずっこけてるのもまた「相葉ちゃん(※あえて“片山”ではない)ったらかわいい!」となってしまうのが「みんなの相葉ちゃん」クオリティ。彼本人のアイドルとしてのパーソナルな部分が受け入れられ、演技の拙さ(おっとはっきり言ってしまった)さえも許容されてしまうのがこの国のアイドル文化なのかもしれません。技術の高さではなく、彼の人となりそのものが売り物になっているのが面白いなぁと思います。
                    もちろんそのコンセプトは「嵐」というアイドルグループの人気に裏付けされたことであり、彼らが常に目指してきたと語る「グループで登りつめる」ということ、個人の仕事をグループに還元してきた結果なのでしょう。今回の相葉ちゃんのキャスティングは嵐が軌道に乗り安定した証拠のように感じました。

                    そして月曜日にフジテレビ系にて放送中、大野智主演『鍵のかかった部屋』。こちらも『三毛猫』と同じミステリー。「怪物くん」に「変身」していたここ最近のイメージをぶち壊し、180度異なる寡黙な役柄を見事に演じこなしています。特に指の動きが繊細で美しく素晴らしい!
                    そして何より興味深いのが、大野くん演じる榎本も彼本人のイメージに似通った「趣味人」であること。 バラエティ番組で「喋り忘れる」にも関わらず釣りや絵やラジコンの話となれば目を輝かせる大野くんを、普段は無口でも鍵のことには雄弁な榎本に重ねざるを得ないのです。むしろそれがキャスティングの狙いのようにも感じますし、大野くん(否、嵐)のファンが大変な数であることを前提としているような印象を受けます。「ねぇ、普段の彼とちょっと似てるでしょ?」こんなふうに。

                    嵐の人気を実感するのはメンバーの主演ドラマが週2本あるからだけではなく、ドラマの役柄に本人のキャラを重ねる楽しみを提供されていることからも伺えます。そんな今期です。


                    ミュージックステーションのステージも最高でした。アイドル・嵐、勢い留まることを知らず!
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